感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

感情表現

 お盆中は気を遣うことが多かったが、収穫もあったのでメモしておこう。

義父の田舎の家は、普段は無人なので、テレビの契約をしていない。でも、唯一、NHKの衛星放送(無料のもの)は映る。

同じ番組が何回も繰り返されてることもあるし、スポーツ番組も興味ないから、私にとってテレビはただ電源が入ってるだけの存在だった。が、今回は、「この番組、見られてよかった~」と思えるものと出会えた。

 

「奇跡のレッスン」という企画番組で、いろんな分野のプロが、ある程度?庶民的な生徒を指導する番組のようだ。

私が見たのは、元ウィーンフィル管弦楽団のトップだったヴァイオリニストのゲーテさんが千葉の公立小学校に指導しにいく企画だった。

私はヴァイオリンの知識はないが、その小学生たちは、親も真剣で、日々何時間も練習しているようで、演奏中も表情は固くピリピリした緊張感を感じた。

が、指導者であるゲーテさんのレッスンが進むにつれて、生徒のバイオリンの音色がとっても豊かになって、柔らかくなっていった。

修行のような音階練習も、ゲーテさんは、「まず、悲しい音階」と茶目っ気たっぷりに悲しそうな表情で奏でて見せ、次は、楽しい音階、最後に、悲しい音階から楽しい音階に切り替えるというレッスンを皆で一緒にしていて、そういう練習方法は素敵だなあと思った。

ゲーテさんが、「正確に演奏することは僕だって日々試行錯誤中だけど、感情表現はどのレベルの人だってできる。良い演奏家とは、音で物語を作れる人なのです」と語っていたのが印象的だった。


途中から観たのと、掃除機と洗濯機を動かしながらチラチラ観る感じだったので、もうちょっとじっくり観たかったけど、すごく心動かされる番組だった。

誰かと比較して正しいか間違いか、どれだけ正しい形とかけ離れているのかに意識が行きがちだけど、感情表現は個々のオリジナルで、自身にしかできない。

私のフルートもそうだけど、音楽に限らず、感情表現には正しいも間違いもないし、誰だって豊かに表現できるはず。自分が何を伝えたいかに常に立ち戻ることが大事で、それが分かったら、伝わるように表現するには何度もトライしてみることが大事なんだなと改めて思った。

大切にしたいこと

頭の中で何となく考えていることが、ちょうど誰かの言葉として目に飛び込んでくることがある。

また、誰かの言葉が私の思考にヒントをくれて、私の表現になることもある。

 

1年くらい前から野澤卓央さんのメルマガ「小さなコツ」シリーズを購読している。彼は、毎日欠かさずメルマガを配信している。

彼の言葉から気付きをもらうことはよくあるのだが、昨日の「小さなコツ」の中で私の心に響いた箇所を書き留めておこう(以下、抜粋)

『好きなことをやりたい”という人は、
“やりたくないこと”や“人の好き嫌い”で、
悩んでいるように見えたのですが、

 自分の“大切なことが明確な人”は、
“すること”や“人の好き嫌い”の悩みが少なく、

“大切なことのために”自分の命、
時間を使っているようにみえました。

 外側を見て、
私の“好きなこと”を求める人生と、

内側を観て、
私の“大切なこと”を大切に生きる人生は、

似て非なるものだと思いました。』

 

私にとって義父(夫の父)と過ごす時間は、ずっと鬼門だった。何年間も、義父が醸し出す緊迫感が嫌で嫌でたまらなかった。そして、それが、夫に対する不満につながっていた。

が、今回のお盆ミッションを境に、私の心は視界がとてもよくなった。目の前で起きる出来事から目を背けずありのままに眺めることができるようになった。

私が大切にしたいことに気付くことができたからだ。

私が大切にしたいこと、、、それは、どんな時もありのままでいること。それができれば、私からゆったりした空気が流れ、周囲の人がお互いに心を伝えられる空間を作ることができるかもしれない。

選択自由

お盆ミッションが終わり、今日は自分メンテナンス日。
朝イチで美容院へ。
義父母の田舎は、シャワーが使えないので、お風呂の使用湯量を節約するため、洗髪はシャンプーのみにしている。
よって、今日は美容院でトリートメントを追加して、髪と心を労る。

最近、ようやく悟りつつあるのだが、物事はバランスが取れていれば大抵大丈夫なんじゃないかと思えるようになってきた。
気疲れする日があるなら、気を休める日を作る。

若いときは、納得いかないことがあると、そういうことが自分の日常に存在してはならないような気がして許せず、理由探しをして、被害者意識を募らせていった。
被害者意識は、どんどん私を本物の被害者に仕立てあげてゆく。

昨日のblog記事にもつながるが、結婚して半分以上の年数は、何かあると被害者になっていた。
誰かに被害者にされたんじゃない。自ら被害者になっていたのだ。

自分の意識で、被害者にもなれるし、そうならないよう選択できることがようやく分かってきた。
不思議なもので、その仕組みに気付いてから流れが変わった。

今回義父が夫に爆発した後、帰り際、台所に向かっている私に「嫌なもの見せてごめんね。一緒に田舎に来てくれてありがとう」と声をかけた。
義父は、「ありがとう」は言えるけど、目下には謝れない人だと結婚当初は思っていた。それどころか、何かにつけて「馬鹿にしやがって」と突っ掛かってくるタイプだと思っていた。
さらに、義母からは、帰宅後、「またまたいらない神経使わせちゃってごめんね。どうか懲りずにお願いします」というLINEメッセージがあった。

こんな言葉をかけられたのは初めてだ。
被害者意識を募らせて、「こんな理不尽な目に合ってる可哀想な私を助けて」と周囲の助けを期待していたときは、どんどん嫌な気分に流れる出来事が積み重なり、一方、被害者でなくなって、どんな出来事も笑って流せる自信ができた途端に、優しい言葉をかけられた。
今回、私がいつもと違う特別なことをやったのではない。それどころか、義父と夫が険悪になっても動じず、何も言わずニコニコしていた。

振り返ると、これまでの私は、何とか、言葉で自分を理解してもらおう、言葉で場の空気を良くしようとしてきた。
今回は、何も言わないのに、私の気の持ちようで流れが変わったようだ。
被害者意識をもっていたとき、実は、私は被害者になりたかったのかもしれない。だから、自分の意のままに、どんどん被害者になれる条件を選んで突き進んでいったのかもしれない。

今の私は、自分で自分を救える術を知ったから、もう被害者になれないし、被害者意識も湧かないのだろう。

「なぜ」の回答

おとといの朝5時半に義父母が家に車で迎えに来て、彼らの田舎で過ごしている。
夫の実家ではなく、夫の両親の田舎に家族総出で、手土産持参で親戚回りをするのが、五月の連休とお盆の年2回のしきたり。

最初の数年は、いろんなことに違和感やモヤモヤを感じることも多かった。
なぜ、親戚同士で異常に気を遣い合ったり、義父が親戚の陰口や愚痴を言うのか。
なぜ、義父の言うことに皆従うのか。
なぜ、義父、義母、私と布団を並べて、夫は、別の部屋で寝てるのか。
なぜ、義父は昔のことをほじくりだして夫を怒鳴りつけるのか。

なぜ、なぜ、なぜ、、、を繰り返して、あっという間に14年目。

でも、ここ3年くらいでやっと私も悟った。

「なぜ」という言葉の前には、「私の育った家庭、親戚はこんなんじゃないのに、このうちはなぜ?」という言葉が存在する。
自分が育った環境や家族関係が当たり前なわけがない。絶対に当たり前じゃないし、普通でもない。
その家、その家族、親類コミュニティで、それ相応のバランスはとれてるはずだ。

うちの実家、親類は女性中心だが、一方、夫の実家、親類は男性中心という違いがあるし、私は言葉に敏感なので、義父の言葉使いに過剰反応していたのかもしれない。
そのコミュニティの中でバランスがとれてるのだと認識できるようになって、一つ一つの出来事を追求する必要はない気がしてきた。

昨晩は、夫と義父がケンカして、夫は、夕方も食べずお風呂も入らず寝てしまった。
夫も極端だが、義父も極端なので、ま、極と極が引っ張り合ってバランスをとっているのだと思えた。数年前までは、私は嫌な気持ちに自ら巻き込まれていた。
極と極は、実は要素が似ている。結局、親子なのだと今では微笑ましく見守ることができる。

凝り性

夏になると、職場に大型の頂き物が届く。

今回は、大玉の西瓜。

 

数年前までは、先輩:私が切ろうか? 後輩:いえ、私が切ります~。先輩: 忙しそうだから切るよ。 後輩: いえ、私が切ります~、、、 という "気遣い合戦" が繰り広げられていたのだが、最近は、私が 一手に引き受けている。

私は "不毛な”気の遣い合いが苦手なので、「私、切るの好きなんです~」と主張した。

事実、私はメロンも西瓜もウリ系全般がそれほど好きではなく、切る方が好きだ。

それに、こんな大玉西瓜、二人暮らしの日常じゃ切る機会だってないから物珍しい。

他の皆は、「え、切ったことないから自信ない~」とか言うのだけど、私の場合、あんまり機会がないからこそ、ちょっとワクワクする。しかも、お客様からの頂き物だから、高級品だ。私が高級品を切って、真っ先に中の状態を確認するのって、爽快感ある~。

 

でも、切分け係としての責任も生じる。まず、西瓜の甘い箇所は平等に切ること、そして、お上品なオフィスレディー達は手を汚したくないだろう。諸々追及した結果、種を感じさせない切り方をネットで習得した。

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1. 縦切りじゃなく、横切りする。と、断面に、うっすらと蝶の吸い口のようなクルクル模様が見える。

2. 蝶の吸い口(維管束というらしい)に沿って切り分けると、種が表面に出てくるから、見える種を取り除けば、自称タネ無しスイカの出来上がり~

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3. 今回も後輩が「種が全然なかったですぅ~」と言ってきた。「へへ。そうだろ~」っと誇らしい気持ちになる。

が、先輩の取り分に数個の種を発見してしまった、、。ま、スイカ食べてんだから仕方あるまい。

超大玉だったので、もう半分は明日。

 

おとといは、「行き過ぎる」私の状態について書いたのだが、これは、まだ凝り性の域に収まっているかなと思う。

なぜなら、楽しいし、シーズンものだから。

ことば

音信不通になっていた弟から封書が届いた。

 

弟は、鬱病と診断されて10年以上経つ。通院していることは病院で確認できるが、ここ1年くらいは、私も両親も、電話・Eメールを着信拒否されている。こちらからたまに手紙は書くことはあったが、返事は来なかった。


今回の封書の要件は、弟のアパートの契約更新を秋に控え、連帯保証人である私の印鑑証明書を送付してほしいということだった。弟としては、連絡を取らざるを得ない必要に迫られた状況だ。

更新手続き書類と共に、レポート用紙一枚にびっしりと書かれた手紙が同封されていた。

そこには、連絡不通にしていることを詫び、そこに至るまでの心身の状態、現在の状況、しばらく連絡不通のままにさせてほしいということが書かれていた。

私や両親に連絡しなければと考えれば考えるほど、発作や過呼吸、倦怠感に襲われ身体が動かなくなるという言葉どおり、手紙の文字も何日かかけて、なんとか書き上げたというような筆跡だ。

が、言葉遣いは丁寧で、弟が子供の頃から持つ変わらない心の柔らかさが読み取れる。

 

ハッキリ言って、弟は、言語表現が得意ではない。私は、逆で、何でも言葉で言い表さないと理解できないタイプだ。その証拠に、フルートのレッスンだって、「こういう感じ~」と先生に指導されたって、先生の「こういう感じ~」がサッパリ理解できない。先生が「ここは菅をゆっくり上へ持ち上げて、ゆっくり下ろす」と言ってくれて、私は「もう、早くそう言ってよ~」と思ったりする。


そんな私だから、弟が、なぜ、私が話したことをすぐ忘れたり、メールを全部きっちり読まないで、部分的に自分のいいように解釈したりするのか分からず、よくイライラした。弟は、感覚型なのだ。

その違いが分かって、うちの家庭(特に母との関係)は、弟にとって、さぞかし、生きづらい環境だったろうと想像できるようになった。


母は、言いたいことをズバズバ言えるタイプだ。誰かを傷つけようという悪意はないし、情深いのだが、感情に任せた正論をズバリと言ってしまう。例えば、5年前に父が癌を発症し、手術を受け、医師に「再発したら余命2年です」と宣告されたとき、あまりにも楽天的に過ごす父の生活態度に我慢ならなくなってしまった母は、「あんた、余命2年なんだよ。そんなに死にたいんか?!」と父にぶちまけてしまった。

言語重視型、思考偏重型の私から見ると、母の盲点は「感情に言葉が乗っ取られてしまうこと」だと思春期から感じていた。私は、感情と思考を切り離す術を磨き、母に冷静な言葉で応戦し、家庭内での居場所をなんとか確保してきたのかもしれない(その結果、私の盲点は、感情を置き忘れてしまうことだ)。

感覚型の弟は、母の雰囲気を敏感に感じ取り、圧倒されて、自分の心に蓋をしてきたのだろう。

 

ふと、「ことば」って何だろうと考える。

言語表現が上手くないという目で見ていた弟の今回の手紙は、ちゃんと私の心に届いた。

ことばは、誰かを打ち負かすためのものでもなく、正論を主張するためのものでもなく、優劣の評価の対象とするものでもないのだ。

私は、心と心をつなぐために使ってゆきたいと思い直した。

弟に心を伝えることばで返事を書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

やり過ぎ

文章を書こうと思いながら、暑さ疲れからか、片道2時間弱の通勤を睡眠に充てる日々を重ね、気付いたら8月になっていた。


以前、cimacox さんのblogを読んで、私の「やり過ぎ」の境目ってどこだろうと思った。

ちょっと時間が経ってしまったが、書きかけて放置していた文章をつなげよう。


とにかく、私は「行き過ぎる」タイプだということは自覚している。好奇心があるのでフットワークは軽いのだが、新しい場に足を踏み入れると、そこで形成されている関係性の期待に応えようとしていつの間にか義務感や役割に縛られてしまう。

過去の行き過ぎた事例といえば、、、


1.  小学生の頃、雪国なのに一年中ジャージの半ズボンで過ごしていたこと(先生が褒めるから止められなくなってしまった)

 ←つくづく、自分が寒いと感じる時点が止め時だったなと思う。感覚を思考で麻痺させていた。


2. 高校生の頃、入学式に揃えてもらった革製の重くて使いづらい鞄を三年間使い続けた(友人たちは使い勝手の良い肩掛け鞄やリュック)←鞄が重いと日々感じながら、親にその事が言えず、小学生から培った感覚を麻痺させるスキルをさらに磨いていった。「我慢強い私」という名のもとに....

 

3.   大学生の頃、児童館ボランティア活動に参加し、私は沢山の子供を相手にするのは苦手だなあと思いながら、活動を続けていた←私は未熟だから、苦手を克服しなきゃならないと思い込んでいた。


4.  社会人になって、昼間は図書館で派遣社員として働き、自分の人見知りを克服しなきゃならないと思い、思いきって居酒屋バイトを始めた←別に苦手を無理に克服する必要なかったし、バイト先を居酒屋にする必要なかったかもなあ。


5.  去年の年末まで約7年間同じ整体に通っていた。その整体師が言う健康観がすべてだと思い、自分の身体は治さなきゃならない部分だらけだと思い込んでいた。←なぜ、その整体師が言う理想体重とか理想体型に合わせなきゃならないと縛られていたのだろうか。私の服装に否定的なコメントをしてきたときに、あれ❓って気付いた。そこに行かなくなって半年以上経ったが、肩凝りが消えている。そこに通わなきゃ肩凝りが治らないという強迫観念が身体に一番毒だったのだな。


6.  30歳過ぎて、やりたかった職業に正社員で就けたものの、未熟な自分が許せなくて学校に通いまくった。あれが足りない、これが欠けていると感じる度に通う学校の数が増えて、毎週3ヵ所も仕事後に通っていた時期もあった←学校に通えば足りない部分が埋まるわけではないと、その時の自分に言ってやりたい。


7. 仕事だけじゃ老後が心配だからと、アロマトリートメントを習い、上級者コースまで受けた。先生に言われたことを私が忠実に再現するもんだから、先生が活動を経歴一年足らずの私に丸投げするようになってきた。技術面だけならまだしも、活動後一人残され、先生の家庭の悩みを四時間も聞かされた時は帰宅が遅くなって疲労した←自身を全面的に先生に明け渡してしまったのが問題だったなあ。


8. 飲み会の幹事を引き受けることが多くなって、いつのまにか、人を楽しませ満足させることだけに焦点が行ってしまって、気付いたら、自分は何を味わったのか分からない状態になっていた。いろんな人が連れていってほしいというから、同じ居酒屋に週3日も行ったりしていた←友人の期待に応え、さらに、居酒屋のマスターの期待(超常連客という肩書)にも応えようとした自分、やり過ぎだ~


思い付くままに書き連ねたが、細かい事例はもっとあるだろう。

「やり過ぎの私」を分析すると、ひとえに、私自身の感覚が麻痺させてしまったことが原因だ。自分がチラッとでも居心地の悪さを感じたら立ち止まってみた方がいいな。あと、できないことは別に無理して克服しなくてよいのだ。