感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

記念日

昨日は結婚記念日だった。

いつからか意識しなくなったけど、数えたら13周年。

振り返れば、あっという間の13年間。

去年までは、「なんで、結婚記念日に料理しなきゃならんのだ~」と思って、外食していた。

が、今年は、なぜか、予算の制約を緩めて質の良い食材を買って、食べたいモノを作るのが一番の贅沢なんじゃないかという心境になった。外食して、誰かの基準で味付けされた料理を食べることが本当に贅沢と言えるのかどうか・・・という気持ちになったからだ。

 

夫のリクエストが特になかったので(食にこだわりないタイプ)、海の幸をふんだんに使ったパエリアにした。思ったよりも手間がかからず、豪華な出来栄え。特別な味付けなくても、エビ、アサリ、タコから出汁が出る。

心もお腹も満たされた。f:id:msyblog:20180918214922j:plain

メンタル測定器

フルートを習い始めて3年と8カ月ちょっと、どうやら初めてのスランプに陥っていると認めざるを得ない。

昨日のレッスンでは、ほとんど音が出なかった。自主練習をサボッていたのなら、練習量を増やせばよいという改善方法がすぐ浮かぶのだが、いつも以上に自主練に時間を割き、練習に励んでいたのでどうしたらいいのか分からなくなった。

 

先生に聞いたり、ネットで検索したりして、音が急に出なくなった原因がなんとなく分かった。どうやら、頑張り過ぎ、力み過ぎが原因のようだ。

身体に力が入り過ぎて、吹き込む息が過剰になって音がかすれる。フルートは、ちょうどいい姿勢、ちょうどいい息の量、ちょうどいい心理状態で吹かないと音が出ない楽器だ。

ある人が、「『もっと〇〇しなきゃ』という思考になりやすい人は、急に音が出なくなるという壁に必ずぶち当たる」とネットに書いていた。

これ、まさに私のことだ。

 

振り返れば、習い始めて1年目、2年目は、全くの初心者なんだから、とりあえず音が出て短い曲が吹ければ十分だと開き直るような気持ちで臨み、3年目はどの音程も出せるようになって褒められることが多くなり、4年目は、どうやったらもっと響くいい音が出るのか、他と比べたりして、もっと曲に表情をつけられるようになりたいと試行錯誤を始めた。

先日の週末は、何か学びがあるかもしれないと考え、別の人のフルート演奏を聴きに行って、偶然にも至近距離の席に座ったものだから、曲を楽しむというよりも、吹き方の観察をしてしまった。帰宅してから、彼女の吹き方を真似して吹いてみて、なんとなくうまく吹けるようになった気分になっていた。

でも、他人の吹き方はその人に合った吹き方なので、安易にマネをしたのが悪かった。

自分のいつもの吹き方やフォームが崩れ、自分なりのいい音を出せるポイントが体感でつかめなくなってしまった。

自分の中のバランスが完全に崩れてしまったようだ。

 

つくづく、フルートは自分のメンタルの状態を反映する楽器だと思う。

悲しいときは音が低くなるし、焦ると上ずったような高すぎる音になるし、今回みたいに頑張り過ぎると音が出なくなる。

そして、「もっと○○しなきゃ」と自分を追い込めば追い込むほど、以前やっていたことが出来なくなってしまう。

「今日はどんな音が出るかな~」くらいの気持ちでいいのかもしれない。

今後の私の人生において、フルートは、私のメンタル状態を包み隠さず写し出す計測器のような存在になるなと思った。

そして、やっぱり、どんな時も、自分以外の人になろうとしない方がいいなと思った。

前提が違う

はてなで日記を書き始めてから、自分の考えがよりハッキリと自覚できるようになってきたのか、心のモヤモヤ感を引きずらなくなりつつある。
やっぱり、私は言語化できると落ち着くタイプなんだと思う。
最近は心が落ち着き過ぎて書くことないような気がしていたけど、些細なことでも言語化していくことにした。

去年の夏に引き続き、今年の夏も職場で断捨離作業をした。お盆あたりから数週間、ひたすら、不要書類の箱詰めしてゆく。訴訟関連の個人情報が凝縮された書類だらけなので、箱詰めして業者にお金を払って焼却処分してもらう。
単純にどんどん箱詰めできたら楽だけど、クリップ等金属は焼却できないから細心の注意で取り除き、クリアファイルは再利用できるかもしれないから取り除くので時間がかかる。封筒も中味を確認すれば、未使用切手、印紙、現金、図書券などの掘り出し物にも出合える。
今回は、戦後の昭和20年代の黄ばんだ書類なんかも出てきて、この時代は、ワープロもなかったし、タイプライターさえなかった時代で、重要書類は筆で書かれて巻物みたいに紐で縛られていて、ノスタルジーを感じながら作業した。
この夏は自分の業務が忙しくなかったので、ほぼ毎日朝から夕方までずうっと断捨離作業に参加していた。
そんなに頑張らなくていいんじゃない?と先輩に言われるけど、いつもデスクワークなので、こういう肉体労働は喜んで参加している。どっかの医学論文で、デスクワークが毎日四時間以上続けてると、死亡率が20%上がるとかいう統計があるのを目にしたこともあり、職場では嬉々として動いている。

が、今朝は、動きたくないと思った。
それは、夫が古紙回収のための大量の新聞をマンションの玄関まで私に出させようとしたからだ。ヨガに出掛けるなら、ついでに持ってってよ~という意図なのだろうが、あんたも休みのくせに、重い荷物を妻に運ばせるのか! と不満に感じた。

職場なら、それほど重くもない荷物でさえ運ばなくていいよと言われる。けど、私は嬉々として運んでいる。
が、家庭では、なんで私が運ばなきゃなんないんだと文句をいいながら、夫も引き下がらないから、私が面倒くさくなって、エイヤ!と運んだ。
どっちのケースも、私が運んだのだから結果は同じ。正反対なのは私の心の状態だ。
職場では、私のことを心配してくれて尊重されてるような気がするけど、家では、心配されず、ついでなんだからいいでしょ。どうせ暇でしょ、みたいに扱われてる気がするのだろう。

荷物を運んだという目に見える結論は同じだけど、こうも人の心の状態が異なるのだから、私も、人に何かを頼むときは声のかけ方に配慮したいなあと思った。

会話

ある友人に連絡を取らなくなってもうすぐ1年が経つ。

ケンカしたわけでなく、私がその友人の整体院に寄り付かなくなったからだ。私も一切メールを絶ったが、相手が連絡してこないのは、友人関係の前に私が顧客だという遠慮からだろう。

それまでの7年間は、ほぼ毎日メールのやり取りで盛り上がった。なんだか、若かりし頃の交換日記(そういう年代だよ)みたいな内容で、お互いが一日をどう過ごしたか、斬新な飲み屋情報、美味しいデザート情報など、とにかくお互い打つ文章が長い。情報屋で、表現にこだわるところに共通点があった。

 

その頃、私はたわいもない会話に飢えていたと思う。夫との会話は、結論を急ぐ言い方をされるので、すぐに話が終わってしまうのがつまらなかった。

例えば、私が「お茶飲んで暖まろう~」と言えば、夫は、お茶の成分について説明し始め、その成分は身体を冷やすから、お茶で暖まろうというのは間違っていると返答したりする。

その友人との会話は、夫とのフラストレーションや虚無感を埋めてくれていたと思う。

 

が、だんだん、その友人と飲みに出かけるのが面白くなくなり、私が連絡を絶つ1週間前は、一日休みを取って一緒に遠出する約束をしていたが、急な仕事が入ったと適当な嘘をついてキャンセルしてしまった。あんなに会話が楽しかった間柄だったのに、急にその友人の話を丸一日聞くのかと思うと、耐えられなくなってしまった。

そうなのだ。最初はいろんな話のキャッチボールを楽しんでいたはずが、いつの間にか、私ばかりが聞き役になっていたのだ。また、友人は自営業で一人で仕事をしているのだから、私が聞き役になってあげなければいけないと思い込んでいた。

 

幼少期からの人間関係を振り返っても、私は、聞き役に徹し過ぎた果てに関係を絶つことが多かったと思う。基本的に、相手の言ったことを受けとめる姿勢を示してから、自分の話題を話し始めるので、時間的に相手の話だけで終わってしまうこともある。

そうすると、どんどん相手がありのままの感情を顕にしてくる。それはそれで、私に気を許してくれてる証拠で嬉しいのだが、私の意見を言える余地がなくなってることが多い(というより、相手の期待を裏切りたくないから意見が言えないのかも)。

あれ? ほんとにそうかなあ?と相手の持論に対するモヤモヤが積み重なって、何も言わず、突然、相手との交流を絶つ。自分の本心に嘘をついて、聞き役でいることに限界が来るからだ。

 

でも、今思う。

私は、いつだって、相手の意見と反対になったとしても、ありのままの意見を言ってよかったのだ。それが相手に受け入れられなくても、そこからまた相手との新しい交流を深められたかもしれない。

 

その友人がどんどん遠慮なく、モラルの界もなく、別のお客の悪口を言ったり、同じ電車の車両になった赤の他人の容姿についてコメントするのが、私はイヤになってきた。整体師だからこそ、人を外見で判断すべきじゃないし、身体つきと心はつながってると思わないのかと意見したかった。

でも、良いとか悪いとかジャッジする観点を外せば、その友人はありのままに私に接していたのに、私はありのままにその友人と向き合っていなかったんだということに気が付いた。

 

意見がぶつかっても、それも交流の一部として楽しめばいいんだ。

いろんなプロセスと長い年月を経て、結論を急ぎすぎる夫との会話を知恵を使ってどう開拓してやろうか楽しめるようになりつつある。

今がいちばん

暑さで体力消耗するのか、平日の帰宅後も、週末もダラダラしている。そうしないと夏を乗り切れない気がしている。

特にこの間の日曜日は、午前中はヨガに行ったが、帰宅後は昼寝し、気が向いてフルートの練習をし、それからまた昼寝、なんだか猫になったような一日だった。

リビングで寝そべりながら、ふと、今が一番いいなあ~と思った。

よく、10代20代の頃に戻りたいという人がいるが、私は、絶対に戻りたくない!

そのころの週末はダラダラ過ごすなんてあり得なかった。なんだか忙しかった。というか、気が休まる時間が無かったと思う。

「そんなダラダラして~。やるべきことあるんじゃないの?」と母の言葉が響く。

自分で稼げるようになるまでは、自分の時間を好きなように使ってはならない気がしていた。

もちろん、今の私は、誰かに時間を管理されなくても、ちゃんとやっていけるし、自分でやるべきことは決められる。

でも、今でもちらっと、母の言葉が脳内で反響することがある。

そういう時は、「大丈夫。もともと、何でも自分で決めて良かったんだよ。自分の人生だから」と言い聞かせている。

新しい付き合い方

先週は水曜日に仕事を休み、体力気力共にフルチャージできたはずだった。
が、木曜日の遅番終了後、宴会に行ってから不調になり、金曜日は、身は仕事場に在りながら、タマシイ抜けたまま1日を過ごし、土曜日もなかなか復活できないまま用事をこなした。

もしかしたら、アルコールアレルギーじゃないかという疑いが見え隠れしている。
少し前から見て見ぬ振りをしてきたが、アルコールを飲んだ後、決まって、鼻が詰まる。で、鼻が詰まるからか、頭痛もやってくる
今回は、ビール一杯と赤ワイン一杯でこの状態。

は~。2年くらい前までは、ノミニケーションを率先して企画し、男性並みに飲んでも平気だったのになあ。
でも、ちょっとホッとした自分もいる。
もともと、そんなにアルコールが好きというわけでなかった。手っ取り早く、コミュニケーションが取れて、人と人を繋げやすいツールとして利用していただけだ。

よって、それだけの関係だった仲間とは、あっという間に縁が切れた。物淋しいという気持ちもなく、薄情なことに、そういう仲間のことをすっかり忘れている。

いろんな意味で、これからは、アルコールとも人とも新しい付き合い方をしようと思っている(下戸の夫を馬鹿にしたことも反省している)。

初心

今日は仕事を休んでみた。
特に私用があるわけでなかったが、仕事が混んでないときは、ポッカリ空白を作ってみることにしている。
有給休暇を取りづらい夫からは、「サボるな~」とか「ふざけるな」とか言われるが、気にしない。
私には私の仕事の世界があって、そこでバランスが取れればよいのだ。

が、性分なのか、小間切れに動いてしまう。
いつも通り5時に目が覚め、寝床でうだうだしているのも6時くらいまでが限界で、洗濯を済ませて、朝ヨガに出掛け、整体に行き、夜はフルートレッスン。

野口整体の個人指導を受けたのは久しぶりだったが、先生は私の身体からフルートの残像を感じたようだ。
そして、私がフルートを練習せねば~という強迫観念で、フルートを楽しめなくなりつつあることを見抜かれた。
ストレスでお腹にガスがたまり、表情が緩まず強張っているらしい。

そうなのだ、、、。
前夜も仕事後に夜9時までメンバー練習があり、私は家が遠いので帰宅したら11時前になり、正直疲れた。で、今日は個人レッスン。
発表会の2カ月前くらいから練習日が増えるのだが、追われる心理状態になる。

野口整体の先生からは、追われてしまうときは、別の方向からアプローチしてみるといいと言われた。吹く練習だけじゃなくて、吹かないで、イメージトレーニングとか、いろんな人の演奏をYoutubeで聴いてみるとか、、。
一本槍のやり方だと、私の性格上飽きが来るのは自分でも分かっていた。

楽しいから習ってみたいと思って始めたのだから、本来、フルートは私にとって楽しいことのはずだから、本来の目的(楽しむこと)を追求すればいいと言われ、そりゃそうだ~、それが私の『初心』であったと思った。