感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

感覚を言葉に、言葉で感覚を

今日からブログを始める。

その目的は、感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせること。

私は、言葉を緻密に追う仕事をしているが、そこに感情表現はないので、自分の感情も感覚も伴わない(私情は挟んではならない)。

こういった仕事を数十年続けているからか、もはや、言葉が先なのか、感覚が先なのか、分からなくなっている。

ありのままの感覚を感じきる前に、サッと感覚を言葉に置き換え、言葉で感覚を間接的に理解しようとする自分がいる。

仕事の影響だけでなく、振り返れば、幼少時代からそういう傾向はあった。

自分の身の回りで起こる出来事を感覚でなく、言葉で自分に解説し、言葉で捉えると安心できるのだ。

よって、感覚を言葉にしないで慌てふためく人、爆発させる人は私の苦手なタイプだった。筋の通った言葉になっていないので、その人の内部を汲み取れない。こちらの勝手な憶測ではその人の本心に近づけないし、やっぱり、その人の口から言葉が欲しいのだ。

最近ようやく、言葉にする術がないからこそ、慌てふためくし、ありのままの感覚を表現するからこそ、爆発させてしまうのだろうと、苦手な人のことを理解できつつある。

さらに、本来、感覚は、言葉にそっくりそのまま置き換えることなど不可能ではないかと思うようになった。

なので、感覚はどこまで言葉にとどめられるのか、言葉は感覚をどこまでよみがえらせることができるのか、ブログを書くことで自分なりに見つめてみたい。