感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

楽譜は読めるが・・・

昨日は6月6日。
ふと記憶がよみがえってきた。

私が幼い頃、習い事といえば、ピアノかエレクトーンが主流だった。
人口3千人の田舎村でも、ピアノを習う子どもはチラホラいて、私も「ピアノやりたい」と口走ってみた。
すると、母が「絶対、途中でやめないね!お遊びみたいにしたら、お母さん許さないからね」と言った。私はまだ始める前から止めることなんて考えるわけないのになあと思って「うん」とうなずいた。

「習い事は、6歳の6月6日から始める上達するから」という母の意見で、私は、6歳の6月からピアノを習い始めた。
音楽教室の先生も、母が「厳しくていいわ~」と認める先生が選ばれた。

ほどなくして、町の方からピアノの営業の人がやって来た。
ピアノといえば、黒くてピカピカで顔が映る存在感あるフォーム。
保育園にも、近所のAちゃんの家にも、従妹たちの家にも、黒くてピカピカのピアノが鎮座していた。
もうすぐ、そんなピアノがうちにも来る!とワクワクした。
が、「黒いピアノは、ホコリが目立つし、手垢も付くし、好きじゃないわ」という母の一言で、うちのピアノは、表面が木製の茶色いピアノになった。
木製だから、ピカピカじゃないし、顔も映らないし、触り心地もヒンヤリしてない。存在感あるというより、黄色系の絨毯が敷かれた部屋に付け加わった感じ。
でも、母が黒いピアノを嫌ってるみたいだから、茶色でいいかと思った。

そこから、私は、高校を卒業するまでの12年間、母が特別許可を出す日以外、毎日ピアノを弾き続けることになる。
練習が足りないときは、先生に必ずバレて叱られることが分かったから、先生が「30回練習」と言えば、それ以上練習した。

「ピアノが好きかどうか」という選択の余地はなく、「無」の境地で、鍵盤の上で指を動かしていた。
そんなにやれば、誰だって、指は動いて音は出る。
最後の発表会は、難易度一覧の上に位置するショパンの「革命」でトリを務めた。
実に、淡々とした、情熱の伴わない革命だったことだろう。

都会で大学生活を送ることになって、ピアノを持っていけないという状況になり、寂しさというよりも安堵感に包まれた。

ピアノから離れ、音楽から離れて、20年以上の歳月を経て、ふと思い立って、フルートを習い始めた。

そこで、気が付いた。

私は、楽譜は読めるが、音を感じられない。
美しい音のイメージ、音が調和しているってどういうことなのか、サッパリ分からない。
そういえば、ピアノを12年もやっていたけど、どんな音を出してるのか味わったことがなかった。
12年もやってたなら楽譜が無くても一曲披露できるだろうと言われるが、楽譜がなければ、何も弾けない。

フルートは、楽譜が読めても、指が動いても、音を奏でてくれない。
毎回「ラ」の音を確認してから、その日の練習は始まるが、先生の吹く「ラ」と、私が吹く「ラ」の音は全然違う。

フルート歴3年を越え、私が元気な日の「ラ」と、不調な日の「ラ」は響きや張りが違うことが分かってきた。

これは、言葉と感覚の関係にも似ていると思う。
いくら言葉を知っていても、そこに実感が伴わない状態。
いくら楽譜が読めても、「ラ」という一音さえ感じられない状態だったのだ。

フルートは自分で選んだのだし、これからは自分の音を感じてみたいと思っている。