感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

消費の果て

ここ2、3年の私は、省エネモードである。

お付き合いの飲み会は極力断り、ヨガ通いは週2回にとどめ、週末は一つ以上予定を入れないようにしている。

年のせいかもしれないが、なんだか、消費活動に飽きてきた。

 

7、8年前の私といえば、誘われる飲み会にはすべて出席し、自分でも飲み会を企画し、飲み会で意気投合した相手とは個人的に語り飲み、ヨガはフリーパス会員だからと月13回通い、仕事スキルを上げるためにと学校にも週一回で通い、週末は趣味グループの農作業に参加するか、アロマトリートメントのボランティア活動に参加していた。

結果、家に居る時間が全くない。

夫の口癖が「また無駄遣いして、遊んでばっかりだな~」になってしまった。

私は、「家がおもしろくない。悲しくなるほど、つまんない」と答えていた。

 

交友範囲が広く、情報通で、幹事役にうってつけで、疲れ知らずな自分像が出来上がり、周囲にそういう印象を与え続けたので、久しぶりに会う友人には、いまだにそれを期待されることがある。

自分でも昔の自分とのギャップに戸惑うことがある。

 

あの自分は、本当に私だったのか? いったい何だったんだろう?

と今の私は感じる。

 

美味しく、斬新な飲み屋を開拓し、それを誰かと共有して高揚感に浸ることに価値を置いていた自分はもう居ない。

なんだかんだ言って、自分で自由にアレンジできる『家飯』が一番いいと思えてきた。

そして、夫の口癖は「せっかく誘ってもらって、交遊を深める機会なのに、なんで断るの?」に変化した。

私は、「もう飽きた」と答えている。

 

自分が変われば人も変わるとはこういうことかもしれないが、自分の変わり様に自分が一番驚いている。