感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

やり過ぎ

文章を書こうと思いながら、暑さ疲れからか、片道2時間弱の通勤を睡眠に充てる日々を重ね、気付いたら8月になっていた。


以前、cimacox さんのblogを読んで、私の「やり過ぎ」の境目ってどこだろうと思った。

ちょっと時間が経ってしまったが、書きかけて放置していた文章をつなげよう。


とにかく、私は「行き過ぎる」タイプだということは自覚している。好奇心があるのでフットワークは軽いのだが、新しい場に足を踏み入れると、そこで形成されている関係性の期待に応えようとしていつの間にか義務感や役割に縛られてしまう。

過去の行き過ぎた事例といえば、、、


1.  小学生の頃、雪国なのに一年中ジャージの半ズボンで過ごしていたこと(先生が褒めるから止められなくなってしまった)

 ←つくづく、自分が寒いと感じる時点が止め時だったなと思う。感覚を思考で麻痺させていた。


2. 高校生の頃、入学式に揃えてもらった革製の重くて使いづらい鞄を三年間使い続けた(友人たちは使い勝手の良い肩掛け鞄やリュック)←鞄が重いと日々感じながら、親にその事が言えず、小学生から培った感覚を麻痺させるスキルをさらに磨いていった。「我慢強い私」という名のもとに....

 

3.   大学生の頃、児童館ボランティア活動に参加し、私は沢山の子供を相手にするのは苦手だなあと思いながら、活動を続けていた←私は未熟だから、苦手を克服しなきゃならないと思い込んでいた。


4.  社会人になって、昼間は図書館で派遣社員として働き、自分の人見知りを克服しなきゃならないと思い、思いきって居酒屋バイトを始めた←別に苦手を無理に克服する必要なかったし、バイト先を居酒屋にする必要なかったかもなあ。


5.  去年の年末まで約7年間同じ整体に通っていた。その整体師が言う健康観がすべてだと思い、自分の身体は治さなきゃならない部分だらけだと思い込んでいた。←なぜ、その整体師が言う理想体重とか理想体型に合わせなきゃならないと縛られていたのだろうか。私の服装に否定的なコメントをしてきたときに、あれ❓って気付いた。そこに行かなくなって半年以上経ったが、肩凝りが消えている。そこに通わなきゃ肩凝りが治らないという強迫観念が身体に一番毒だったのだな。


6.  30歳過ぎて、やりたかった職業に正社員で就けたものの、未熟な自分が許せなくて学校に通いまくった。あれが足りない、これが欠けていると感じる度に通う学校の数が増えて、毎週3ヵ所も仕事後に通っていた時期もあった←学校に通えば足りない部分が埋まるわけではないと、その時の自分に言ってやりたい。


7. 仕事だけじゃ老後が心配だからと、アロマトリートメントを習い、上級者コースまで受けた。先生に言われたことを私が忠実に再現するもんだから、先生が活動を経歴一年足らずの私に丸投げするようになってきた。技術面だけならまだしも、活動後一人残され、先生の家庭の悩みを四時間も聞かされた時は帰宅が遅くなって疲労した←自身を全面的に先生に明け渡してしまったのが問題だったなあ。


8. 飲み会の幹事を引き受けることが多くなって、いつのまにか、人を楽しませ満足させることだけに焦点が行ってしまって、気付いたら、自分は何を味わったのか分からない状態になっていた。いろんな人が連れていってほしいというから、同じ居酒屋に週3日も行ったりしていた←友人の期待に応え、さらに、居酒屋のマスターの期待(超常連客という肩書)にも応えようとした自分、やり過ぎだ~


思い付くままに書き連ねたが、細かい事例はもっとあるだろう。

「やり過ぎの私」を分析すると、ひとえに、私自身の感覚が麻痺させてしまったことが原因だ。自分がチラッとでも居心地の悪さを感じたら立ち止まってみた方がいいな。あと、できないことは別に無理して克服しなくてよいのだ。