感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

心のスペース

先週の土曜日、友人とバスの旅をした。

行き先は、関東最古の神社といわれる鹿島神宮

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他に目的はない。のんびり行こうよというのが二人の暗黙の了解。

これが夫が一緒だと、いかにたくさん観光できるか、制覇できるかという効率性を極めた旅になるので心休まらない。

今回は、気楽な雰囲気を大事にしたい。


東京駅から2時間、バスに乗りっぱなしで目的地まで連れてってくれる。

バスは1時間に4本も出ていて、2千円かからずに茨城県まで行けるなんて、便利だし、連休初日でさぞかし混雑していると思いきや、座席はガラガラ。

鹿島アントラーズの試合でもあれば、もっと混むのだろうか・・・

そして、バスの運転手さんは、やたら独り言の多いおっちゃんだった。茨城弁か東北訛りのようだ。

友人と私は、おっちゃんの独り言に時々気を取られながらも、お互いの近況報告で盛り上がった。

バスがスムーズに茨城県鹿島市に入ったとき、バスの運ちゃんが「あ~!」と大きな独り言を発した。

なんだろう? と友人と顔を見合わせていると、「すいませ~ん。停留所を行き過ぎちゃって、鹿島製作所の正門まで来ちゃいました~」と、鹿島製作所の社員であろう背広を着た人に声をかけていた。

私たちも、他の数少ない乗客も、苦笑いしていた。

ま、これもアリか、ま、いいか~って雰囲気が流れた。


そして、私たちは、終点の一つ手前の「鹿島神宮前」で下車した。が、バスの停留所は神宮の裏側だった。常陸の国の一之宮(その地域の中で一番大きな神社)というのに、道案内が無く、分かりにくく、不安になりながらも、ようやく神社の鳥居が見えてきた。

神社は森の中にあって、その空間では時間を忘れた。

御手洗という湧き水で出来た池の前で、みたらし(御手洗)団子を食べて一息ついた。

ほんとに時を忘れて神社を出たら、午後1時半。

みたらし団子も消化できたので、参道の蕎麦屋に入った。

口コミを読んで覚悟していたのだが、注文してから蕎麦が出てくるまで、1時間かかった。

ま、3か月ぶりに会った友人とたくさん話すことが今回の一番大事にしたい本当の目的で、のんびりすることが二人の求めるものだったから、お腹を空かせながら1時間、会話を楽しんだ。

蕎麦は特製というだけあって、香りも味もよかった。

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二人とも、まあいいか~という心のゆとりがあったから、文句も出なかった。

帰りのバスも、一本逃して、バス停で話ながら次のバスを待った。

帰りのバスでは、お腹が満足して、二人とも爆睡。

東京駅には夕方6時に戻った。

二人でお茶しながら、今日は贅沢な時間の使い方ができたのがよかったねと言い合った。

心にたくさんスペースがあると、待つことも楽しめるのだなと実感した一日だった。