感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

続:基準

 前回の日記「基準」について、へえ~って感じたことがあったので文字に残しておく。

 

私は、あまり喜怒哀楽が激しくないのだが、前回書いたように心が波立ったので、そのことについて星の先生に報告した。

星の先生は、星の先生になる前は、病院で検査技師をしていた。心療内科で勤務していたこともあり、薬の知識の他に、心理学の知識もある。

私が、言動に矛盾がある友人に対して、心が波立ってしまうという話をしたら、星の先生は笑って「そうよね。あなたは、バランスを大事にしていて、人はみんな平等でなければいけない、バランスが取れていなければいけないって価値観があるからね」と言った。

確かに! そうなのだ!

バランスが大事 ! とすぐに思ってしまう。

飲み会では、皆が平等に話ができているか気になり、話をしていない人の興味ある話題を持ちかけて、皆が平等に話せる場を作ろうと気を回してしまう。

職場でケーキや果物を切る時でさえ、できるだけ不公平のないように、皆平等に味わえるように最大限に気を配る。

私の価値基準は、バランスが取れていなきゃいけないって思い込んでいることだなと改めて自覚した。

でも、人間も動物も、どこか偏っているのが普通。私自身、偏っている。

きっと、バランス取らなきゃいけないという価値基準を持ちながら、自身のバランスがとれないから、人の矛盾点も気になってしまうんだろう。

 

そして、星の先生は、浪費家と倹約家には大きな共通点があると言った。

つまり、浪費家は、美味しいもの、欲しいものを欲求のままに手に入れて、高揚感を味わい、心満たされる。一方、倹約家は、いかに物を安く買うか、いかに効率よく物を手に入れるか知恵を働かせて、それらを手に入れ、高揚感を味わい、心満たされる。

行動は真反対だけど、感じるものは同じ。

人間は、いろんな行動を取るけれど、本当に得たいと思っているものは「心が満たされる感覚」だと。

なるほどなあって思って、人の価値基準に対する理解が深まった。

 

そんなとき、ちょうど面白い記事を目にした。

「イイ事が起きるからイイ気分になるのか、イイ気分でいるからイイ事が起きるのか」

自分がイイ気分でいられるよう工夫してゆけば、自分を取り巻く世界はどんどんイイ事であふれてゆくというのは、こういうことなのだなと思った。

だから、浪費家の友人も、倹約家の同僚も、それぞれの価値基準で行動してイイ気分でいられるなら、それぞれの世界はそれぞれのイイ事が起きているんだろう。