感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

笑顔。

お盆が開けてすぐ、実家の父から、Rちゃんの葬式に行ってきたというメッセージが届いた。

私は、そうなっちゃったのか、、、と思った。

 

Rちゃんは、私が小学校1年生の頃すでに6年生で、とっても優しかった。

私が小学校に緊張しながら登校するとき、天使のようにニッコリ笑って、鈴が転がるような声で私のニックネームを呼んでくれた。

年下の私たちも、村の人たちも、みんなが「Rちゃん」と呼んでいた。

「Rちゃん」と名前を口にするだけで、皆、心にパッと花が咲くような存在だった。

私自身はRちゃんと年が離れていたので、小学校一年間の登校班以外でRちゃんとの個人的な接点はない。それ以降は、村の人や親が話すRちゃんの良い噂しか耳にしなかった。

個人的な接点は乏しいが、Rちゃんの家と私の家は、本家が同じという親戚関係にあった。さらに、Rちゃんの両親は両方ともベテラン教員で、Rちゃんのお母さんは、私の小学校時代の担任だった。Rちゃんのお母さん、つまり、H先生は、厳しいと評判だったけど、鈍くさい(とろい、のろま)とよくからかわれた私の面倒を見てくれて、家も近所だったので勉強やピアノ練習に通ったこともあった。

H先生の家に通っていたど、Rちゃんは学業や部活に忙しいようで、一度も会ったことはなかった。

H先生は、授業中、たまにRちゃんの話をすることがあって、その時のH先生は誇らしげに話していた記憶がある。

私は小中学生の頃、よく思った。

「Rちゃんみたいに美人で性格がよくて、勉強もスポーツもできたら毎日が楽しいだろうなあ。不公平だなあ。Rちゃんみたいに生まれたら幸せだったのになあ」

 

それから私は高校を卒業して、実家を離れて暮らすようになり、社会人になって、久しぶりにRちゃんの噂を聞いた。

「Rちゃん、幼稚園の先生やっとったんやけど、身体壊して、拒食症みたいになって療養しとるみたいやわ」

それを聞いたときは、「ふーん、人生いろいろあるもんや」と答えた気がする。

それから、帰省する度に、Rちゃんの健康状態に関する噂を耳にするようになり、「Rちゃん、やせ細って、みんな心配しとるみたいやけど、両親には一切会うのを拒否しとるみたい」と何度か聞いた。

それから、何年かが経って、Rちゃんのお父さんが病気で亡くなった。

ふと、Rちゃんのお父さん、Rちゃんと最後に心を通わすことができたのかなあって思った。

Rちゃんのお母さん(H先生)は、旦那さんを亡くして悲しんでおられると母から聞いた。

そして、今回のRちゃんの訃報。

先日の父からのメールには、「Rちゃんのあの明るい笑顔、また見たかったなあ」と書いてあった。

私は、皆が見ていたRちゃんの笑顔は、心からの笑顔じゃなかったのかもしれない、、と思った。笑顔でいなきゃならなかったのではないか。

Rちゃん、子供の頃、両親の期待に応えるために、心が安らぐ暇がなかったんじゃないだろうか。

私も含め、周囲の人たちは、「いつも明るいRちゃん。笑顔のRちゃん」のイメージしかなかった。周囲は勝手な妄想をいくらでも作り上げる。

Rちゃんほどではないが、私の父親も教員なので、期待に応えようとしてしまう子供時代を過ごした気持ちが分かるような気がする。Rちゃんの一部が私のなかにもあると思った。

最期にRちゃんとH先生は、心を通わせることができたんだろうか、お互いを許し認められ、心穏やかな時間を少しでも過ごせたのだろうか。

いろいろ想像するが、これは私の勝手な願いだ。

他人は勝手にいろんな妄想や期待を膨らませるが、本当の気持ちは本人にしか分からないのだ。