感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

99年

祖母が亡くなってあっという間に3週間が経とうとしている。99年と約2カ月の人生。

当たり前だが、私は、祖母の若い頃を知らない。計算してみれば、祖母という人は、53歳で私の祖母になったのだ。近所の人からは、「若いおばあちゃんでいいね~」と声をかけられていた記憶があるが、祖母という時点で年寄りなんだから、若いという意味が私には分からなかった。四十も半ばを過ぎて子供をもたず五十が見えてきた今の私からみたら、祖母が若いおばあちゃんだったというのが十分理解できる。

そして、祖母は、家族のなかで最も精神年齢が若かった(と思う)。何を基準にするかにもよるが、世間一般の「穏やかな優しい祖母」のイメージとは違う。趣味や好きなことがあれば時間とお金を費やして突っ走り、その反動でエネルギー切れで数日~数週間寝込んで何もできなくなり、気に食わない人がいれば誰彼構わず徹底的に攻撃し、思い通りにいかないことがあると根に持ってずっと仏頂面。

衝撃的な記憶といえば、祖母は何度か入院していたことがあるが(旅行で張り切り過ぎて脚を骨折したことが数回ある)、毎日のように私に手紙を送ってきた。小学生だった私は、返事が面倒で書かないで放置したことがあった。すると、見舞いに行ったとき、母が花の水を交換しに病室を出て行った隙を見計らい、「なんで返事くれないのよ!」と私の腕をつねってきた。これには、小学生の私も驚いた。クラスメートでも腕をつねってくる奴はあまりいない。

今から振り返れば、初孫の私のことを常に意識下に置いてくれていたのは祖母なりの愛情表現だったのかもしれない。

孫だからいいけど、こんな姑だったらどうだろうか。母は専業主婦で祖母と50年近く人生を共にし、自宅で祖母を見送った。実の息子である父は祖母の最期に居合わせられなかったので、母だけが祖母を看取った。

母に対してだけ、面と向かって感謝の言葉を口にしたことがなかった祖母は、亡くなる1年前くらいから「ありがとう」という言葉を母に言うようになっていた。

人の寿命はそれぞれでそれぞれに生きる理由があると思うが、祖母が頭がしっかりしながらも自力では何もできなくなってからも長期間この世に留め置かれた理由は、自分のエゴを充分に味わい、執着から解放されるためだったのかもしれないと私は感じている。