感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

万全は無い

9月の終わり頃からなんとも言えない徒労感が拭えなかった。3カ月経過してようやく、過去に目を向けている自分に気付き、今新しくつながってくれた人たちを大切にしないともったいない、この人たちと楽しい時間を作り出していけばいいじゃないかと思えてきた。


徒労感の発端は、四年半のつきあいだったフルートの先生との師弟関係を終了したこと。最後のレッスンとなった日、フルートの先生は私にダメ出しをした。いつもは、「わぁー、いい音~」とか、「今日は何かあったのかなぁ~」とか擬音語表現や感覚表現の人がいきなり連続ダメ出し。

「あなた、最初からフルートの持ち方が全然できてないもん」「全然音階を感じるように吹けてないし、、」等々

私はあっけにとられた。

フルート初心者で何も知らないところからよろしくお願いしますと先生に何度も伝え、自分なりに試行錯誤してきた四年半は何だったのか。自己流にならないためにあえて先生から指導を受けようと思って続けていたのに、最初の大事な期間に基礎を学べなかったガッカリ感の波が押し寄せてきた。

さらに、先代の飼い猫(享年18歳)が具合よくない時期にも、いつも通りの日常を維持しようと練習に出掛けていた時間を悔いて悲しくなった。また、惰性で指導されたのだとしたら、うまく吹けない箇所を自分なりに一生懸命練習し、左肩が後ろに回らなくなってしまった体験が路頭に迷うではないか。

先生は、「あら? 学生さんみたいにもっと厳しくすればよかったのかな? 泣いちゃうかもよ~」と言ってきた。

そもそも、先生の言う「厳しい」の定義にズレを感じるし、「泣いちゃう」とかいう感情表現は、四十半ばを過ぎた思考型の私には当てはまらない。


何だったんだ~! この四年半は!

一番の徒労感は、大人の趣味なんだからいくらでも先生を変えられるのに、この先生を選択した自身の目に狂いはないと信じたかった自分の愚かさと、努力が足りないから上達しないのかと思い続けた自責感に疲れた。


そして、10月から新しい先生に教わっている。正確にいうと、8月半ばの音楽イベントで、友人の紹介で、未来の先生になる人と知り合った(この時はこの人のレッスンを受けようとは全く考えてなかった)。

音楽を職業とする人には二種類いると知った。

自身が演奏するのが好きなタイプで食べてゆくために教室でレッスンをする人。

一方は、自身が演奏して楽しいからこそ、その楽しさをレッスンで伝えたい、教えるのが好きな人。

10月からの先生は後者だ。四年半全く知らなかった技術を惜しみ無く分かるまで解説してくれ、私の微妙な吹き方の違いを指摘してくれ、努力すべきポイント、努力すべきでないポイントを教えてくれる。 

あと、先生自身の音楽との向き合い方を話してくれた。

何でも練習してできるようになったら披露しようと考えるかもしれないけど、準備万全な日なんて絶対来ない。その時にできる範囲で本番に向き合うことが大事。できるかできないかより、本番を経験することが一番貴重。

気分が乗らないまま演奏して、なんの罪もない聴衆に自分の気持ちを背負わせてはいけない。背筋を伸ばして前を向いて歩くだけで自分の気持ちって変わってくる。人間の気分って、ちょっとしたことで変わるものだよ。


また新しい出会いに恵まれ、新しい仲間との輪が拡がりつつある環境を大事にしようと思っている。自分の気分は自身で変えられるんだという安心感へと徒労感は変わりつつある。