感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

私の原風景

ここ1、2カ月のことだが、色を感じられるようになった気がする。

もちろん、以前の私も、何色か問われれば色の名前は答えることはできた。「色を感じられる」というのは、視覚上での認識ができるという意味ではなく、色が醸し出す雰囲気を自分のイメージで感じることができるかどうか。

例えば、以前の私は、草花を見ても、「ふーん、キレイだな」ってサッと通り過ぎる感じだった。が、今の私は、足を止めて「わあ。この色、なんというか、言葉では言えない柔かさ。自然が作り出す色って真似できないなあ。きっとこの色合いは一回限りで、もしかしたら、今日この場でしか見られない色かも」とか感じることが増えた。心が動く感じなのだ。

これは以前の私には無かった感覚だと思う。

 

先日、野口整体に久しぶりに行ったときに、先生からいつものように「最近体調はいかがですか」と問われ、いつものように「とりわけ不調はありませんけど。」と答えた。そして、言おうか言うまいか少し迷って、「気のせいかもしれないけど、色を前よりも感じられるようになった気がします」と付け加えた。

先生が私を触って「ああ、ほんとに、そうですね~。これはすごいな」とつぶやいた。そして、「この風景は、ご実家でしょうか。お身体にこれほど深く染みついてるとは。」「なんといえばいいのか分からないのですが、わびさびの世界というか、物悲しいというか」と言った。

先生も私と同じ風景をイメージしているのだろうかと思って「風景っていうのは、山に積もった雪が溶けだして煙みたいに空に上がってて、春になる前のうす暗い空の感じなんです。墨絵の世界みたいな」と私が言い終えるのを待たずに、先生が「そうそう」と頷いた。先生が「何だか、物悲しいという言葉を当てはめてよいのか分からないのですが」と言った。私は、「ああ、子どもの頃、春になりきる前、雨がよく降って山の雪が溶け始めて煙みたいに上がってるのをよく眺めていた記憶が最近蘇るんです。そういう日って、ちょうど今日みたいに寒の戻りというか、うすら寒いんですよね。春になる前って、冬に別れを告げてるような、明るくなる前の暗さというか、ちょっと淋しい、物悲しい感じなんです。何か特定の悲しい出来事があって悲しいのとはまた違う、心の行き所がないような物悲しい感じなんです」と説明した。

先生は頷きながら黙って聞いていて、こう言った。

「それって、あなた自身の身体に深く染みついてる感覚なんですよ。あなただけの風景。きっと、これから、そういう感覚が活きてくるんでしょうね。例えば、フルートを吹かれる時、上手・下手の域を超えた音色として表現できてくるかと思いますよ」

 

私は、最初の頃、先生に会った時、どうしてこの人は言語表現が下手なんだろうかと失礼ながら思ったことがある。が、今、身体の感覚は、言葉では言い表せないもの、その人個人だけが感じられる唯一無二のものなのだと実感できる。

そして、私の身体に深く染みついている原風景をこの先どうやって表現していこうか、どう表現できるのか、とても楽しみになってきている。