感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

自分の面倒をみるということ

日記は前後するけど、年末に身をもって実感したことがあったので記録しておく。

 

私は、ひどい運動音痴だけど健康には自信がある。動作がゆっくりしているおかげか、大きな事故に遭うことも、深刻な病気をしたこともほぼ無い。

が、先月、暮れも押し迫った時期に予想外の怪我をした。

最初は、怪我をしたという自覚がなくて、どうしたものかと思っていたが、正座することはおろか、歩行に困難をきたすほど左膝が痛むのだから、怪我をしてしまったのだなと認めた。

原因は、長年通っているヨガスタジオのインストラクターから善意で受けた脚のストレッチ。

このコロナ時代、インストラクターがお客に触れることは禁止されているし、インストラクターは整体師ではないので、個人的にストレッチなど施術に近いことはやっていはいけないのだが、その日は、他に生徒がおらず、マンツーマンクラスになったとこもあり、お互いの気が緩んだ結果、起こった。

そのインストラクターは、筋肉の勉強をしているといつも話をしていて、参加者の誰かが、どこどこが痛むと言えば、「ちょっと触っていいですか~」と声をかけていた。

彼女は真剣に学んでいるし、熱心だから、誰も嫌に気分はしなかったと思う。

が、ヨガスタジオは整体院ではないから、目的が違うし、やっぱり事故は起こるべくして起きた。

当事者は私。

ストレッチを受けた後すぐに痛みが出たならば、大ごとにはならなかったが、当日は脚が軽くなったような気分でインストラクターにお礼を述べて帰り、翌日くらいから違和感が出て、ひどい痛みになったのは2日後で、怪我をしたと実感して、事故なんだと理解するまでに空白の時間があった。

インストラクターはスタジオ所属なので、連絡先を知らないし、迷った末に、スタジオのオーナーに事情を説明することになった。

オーナーに連絡を取る前、「もし、このことで、インストラクターがクビになったらどうしよう・・・」といろいろ心配になった(余計な心配なんだけど)。

が、伝えた方がお互いによいのは明白だったので、すべて説明した。

余計な心配をしながら、結局、痛い思いをしているのは私で、歩行も階段昇降にも不便を感じ、この痛みや歩行困難がずっと続いたらどうしようという不安にも陥った。

整形外科の診断ではなんの異常なく、一日一日痛みが弱くなってゆくのを感じてホッとしたが、根本的に自分の身体がどうなってしまったのか不安だったので、知人の野口整体を頼ることにした。

こういうときに思い浮かべるのは、やっぱり野口整体のS先生なのだなと改めて思った。

年末に緊急に予約が取れて、道場に入った途端、「ああ、壊されましたね」と言われた。

もう正座ができるほど痛みは消えていたけれど、私の身体は衝撃を受けていた。

「あなたの性質からすると、自分で決めて動いたり、活動したりしてる範囲内ならば、怪我したり、病気になったりすることはめったにないんですよ。だけど、外から人為的に余計な力が加わったときに、壊れやすいんです。

そのインストラクターの方は、完璧主義でとっても負けず嫌いな方だと思われます。完璧主義で負けず嫌いな方が加える圧は、他に対して強すぎて、負担になることが多い。そして、いずれ、自身の身体にも負担になって壊してしまう傾向がある。

そのインストラクターとあなたが同じ性質であったなら、反発し合えるので今回みたいに壊されることはなかったかもしれません。だけど、人の身体というのは、個々に違っていて、同じじゃないですからね。」と。

 

この一連の出来事で私が学んだことを整理する。

・完璧になろうと頑張っていると、人に対して負担を与え、いずれ、自分が壊れてしまう。

・自分の身体の性質を自覚することが、自分で身体を守ることになり、自分の身体に責任をもって生きるということになる。

・自分の身体の面倒を自分でちゃんと見て、大事にして日々過ごすことは、人生を主体的に生きるということ。

 

年末のハプニングは、私にとって意味があったと思う。