感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

前提が変わるとき

半年ぶりくらいの日記。

最近衝撃を受けたことを文章化しておこう。

今年は自分の心と身体の変化がおもしろくて、例年より定期的に野口整体に通っているのだが、またまた大きな気付きがあった。

先生:「髪の質は、お母様譲りなんでしょうね」

私:「え?? うちは一家ほぼ全員が天然パーマなので。両親も祖母も、、、」

先生:「そうですか。でも、特に、髪はお母様から引き継いでおられるかと。」

私:「え!! それは意外でした」

先生:「これからは、きっと、髪の質が大きく変化してきますよ。遺伝のなかでも、引き継がなくてもいい部分はあるんですよ。」

私:「実は、髪が天パなことは、コンプレックスでした。でも、遺伝だし、当たり前かなって思っていました。ですけど、実際、ここ最近、髪の質が変わってきたとは感じていたんです」

先生:「ご自身の "個”としての生き方がハッキリしてこられたんでしょうね。これから、目に見えて髪の質も、他の部分も大きく変化してきますよ。ご自身の”個”の部分がどんどん際立ってきますよ」

 

というやり取りがあり、絶対に逃れられないと思っていた遺伝上の身体の形質がこの年齢で(40代後半になって)変化することがあるのか!?と衝撃を受けた。

さらに、幼少期や思春期にかけて、母から言われた言葉が蘇った。

「おばあちゃんにそっくりな髪。おばあちゃんみたいに太い脚」と母が残念そうに口走る光景。

おばあちゃんというのは、父の母のことで、母は姑である祖母と意見や考え方が嚙み合わないことが多かった。

そういう家族関係だから、私は、母から祖母に似ていると言われて悲しかった。母に似ればよかったのになあって諦めの境地でため息をつきながら、自分の髪と脚を眺めて育った。

それが、今回、髪質は母親から引き継いでいると指摘されたのだ(ビックリ!!)

長年の自分の固定概念というか、自分の前提が大きく揺れた。

さらに、ここ2、3週間くらい、なぜか、私の髪はまとまりがよく、天パにはあり得ない艶がある。

前提が揺れるどころか、前提が消えようとしている。

先生いわく、自分の生き方がハッキリしてくると、遺伝のなかでも、自分に必要ではないものは消えて、身体つきも自分らしいものに変化してゆくと。

誰に意図的に似せるわけでもなく、誰のマネをするでもなく、しっくりくる自分になってゆくのかもしれない。

先生にそう言われてから、髪質がどれだけ変化してゆくのか、日々チェックするのが楽しい。

 

髪質は、寿命を左右することではないけど、もしも、これが疾患だったとしたらどうだろう。私のこの病は遺伝的なものだから逃れられない、仕方ないと日々自分に言い聞かせて生きているとしたら、、、

体質は家族であっても、詳しく見れば異なる。遺伝的要素もあるだろうけど、その遺伝が表面化するとも限らない。

もしかしたら、「どうせ〇〇だから~」と自分で一定の前提を作り、自身を枠のなかに閉じ込めていることって多いのかもしれない。

意識が変われば、遺伝情報も選択自由になるのだろうか。

実に興味深い。