感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

ひとり分析

私が要らぬことなのにやってしまうのは、「余計な力を入れること」「余計な気遣いをすること」

要らぬことなので、やらない方が物事がスムーズに進むのでいい加減手放したい。

が、長年の癖なので、考えるより先にやってしまう。

要らぬことなのにやってしまうのは、心の中にそれを必要なことだと長年思い込んでる自分が居るからなんだな。

そうすることでメリットを感じた自分がいるんだな。

余計な力を入れるメリットは、、、

頑張っていると周囲にアピールできる(過去にアピールできて褒められた体験がある)

自分に対する頑張ってるアピール(上手くできなかったときの言い訳にして、自分を慰められるから)

 

幼い自分は、頑張ってるアピールすることで世渡り上手になれたり、心を救済することができたんだ。

今の自分は、頑張ってるアピールしなくても生きてゆける。もちろん、誰かに褒められたらイイ気分になるけど、余計な力を入れることで自身の負担が増える。誰かの評価に振り回されるのは安定しないし、疲れる。それよりもなにも、余計な力を入れてるとパフォーマンスが悪いのは確か。身体を虐待してるのだから、パフォーマンスが悪くなるのは当然だな。

 

余計に気遣いをするメリットは、、、

やっぱり、誰かに褒められることがあったからだろうな。

逆に、気遣いが足りないとキレられた体験もあったからだろうな。

優越感と恐怖感の表裏一体。

気遣いをすることで人間関係の壁をすり抜けてきたのだろう。

昔の私には、それが必要だった。それで救われた。

今の私には、お荷物になっている。気遣いした後、あの気遣いの仕方は必要でなかったのではないか、、と反省したりしている。

それよりなにより、私が気遣いしたことで、場のバランスが崩れてしまうのを感じるようになった。

私がありのままでいれば、相手もありのままでいられるのだ。

それが心地よい人間関係。