感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

そうだったのか~!!

文章に残しておきたいと思って、タイトルだけ下書きしてしばらく経ってしまった。ようやく文章にしてみる。

 

去年9月、趣味のフルートの先生を変えた。フルートという楽器をイチから教わって4年半という長い師弟関係を解消するのには勇気が要った。何だか、自分から別れを告げたくせに過去を引きずる女のような心理スパイラルにハマり、気持ちが元に戻らないまま3カ月くらいが過ぎた。

が、今は憑き物が落ちたように、新しい先生と新しいフルートライフを楽しんでいる自分がいる。さらに、この先生との出会いによって、オセロの駒がどんどんひっくり返されるような日々の連続。

「それ、初めて聞きました!」「なんで、今まで言ってくれなかったんだろう??」「なんで、あんなに自分を卑下してたんだろう?」「なんで、気付けなかったんだろう?」

ひと言で表現すると、「わたし、完全に頑張る方向性がズレていた」のだ。

新しい先生の指導を受けることで、私の概念はたくさん覆された(覆されている途中かも)のだけど、46年と約半年生きてきて、「え~!!ホンマにそうなん⁉ そうやとしたら、この46年はなんやったの?!」と衝撃を受けたことを書き記しておこう。

私は昭和の教育にどっぷり浸かって生きてきた自覚はある。なぜなら、父親が教員だったから、つっぱねる勇気がないから、どっぷり浸からなければ、自身を防御できる自信がなかったからだ。

その当時の教育といえば、「努力・根性・根気・気合い・継続は力なり」だろう。だから、勉強も習い事も、とにかく、時間をかけて繰り返し取り組んできた。修行僧のように、それらを楽しいものだと感じたことがない。習い事のピアノも、時間をかけて血のにじむような努力が必要だと両親から言われていたし、そう信じていた。

そんな過去の経験から、40歳になって始めたフルートもそういう体勢で取り組んでいた。が、フルートは、力が入れば入るほど、音が出なくなったり、音が震えたりブレたりする楽器だったと4年半後に気づいた。

いくら練習しても、レッスンで音が出なかったり、発表会で練習の6割も発揮できないのだ。いい大人なのに本番で落ち着いて力が発揮できないなんて、恥ずかしいことだと思いながら、そういう悩みを新しい先生にチラッと話した。

先生: へ?? だって、本番って練習と全然違うと思わない? 場所も違うけど、着てる服だって違うし。そもそも、日頃の練習と同じように演奏できるわけがない。

私: そうだけど、本番で6割くらいしか力を発揮できないのは、日々の努力が足りない証拠ですよね。

先生: いやいやいや~。だから~、練習どおりにやろうとしてもそもそも不可能なの。プロでも素人でもそこは同じ。あれと同じだよ。結婚式のスピーチを前夜まで一生懸命練習して、本番にちょっと原稿と違うこと言っちゃった途端、頭真っ白になる人いるよね。練習どおりにやらなくちゃって思う人ほど失敗するパターン。

私: え~!! だって、私の受けてきた教育は、勉強でも運動でも習い事でも、日頃の努力が発揮できますように~って周囲は応援するし、日頃の努力の成果を出さなきゃいけないって頑張ってきた教育で・・・。だから、本番でうまくいかないのは、日々の努力が足りないからかと思ってました。。。

先生: そんな~(笑)。自分をイジメ続けて、苦しすぎる人生、自分が可哀そ過ぎる~(笑) 日頃の練習時は集中して練習し、本番の時はその時に置かれた条件でできる演奏をやれば充分じゃないかな。

 

この会話のあと、私は、一瞬だけど放心状態になった。

そうか~。そうだったのか~!!

努力が足りないと自分を卑下して努力していた自分が滑稽にも愛しくも感じて、笑ってしまった。

 

 ※ちなみに、4年半習っていた先生は、私がレッスン時にうまく音が出ないと「最近いつ練習した?練習してないんじゃないの?」って言うタイプだった。実際のところ、私は、そのレッスンの日、直前までカラオケ屋で練習していたり、ほぼ毎日練習していた。逆に練習してない時の方が上手く吹けたりして「あら?今日はいい音出てるね~。練習したのね~」なんて言われることが多々あった。

今回の新しい先生は、観点が全然違う。「日々練習してるかどうかなんて、実際のところ、俺には見えない。練習してなくても、練習していても、今この場で今のコンディションで集中してレッスンを受けることが大事だ」と。新しい先生の方が年が若いわけではなく、全く逆である。昔の先生は、私と同年代の40代、新しい先生は、60代である。年齢は関係なく、精神年齢の違いなんだろうな。