感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

凝り性

夏になると、職場に大型の頂き物が届く。

今回は、大玉の西瓜。

 

数年前までは、先輩:私が切ろうか? 後輩:いえ、私が切ります~。先輩: 忙しそうだから切るよ。 後輩: いえ、私が切ります~、、、 という "気遣い合戦" が繰り広げられていたのだが、最近は、私が 一手に引き受けている。

私は "不毛な”気の遣い合いが苦手なので、「私、切るの好きなんです~」と主張した。

事実、私はメロンも西瓜もウリ系全般がそれほど好きではなく、切る方が好きだ。

それに、こんな大玉西瓜、二人暮らしの日常じゃ切る機会だってないから物珍しい。

他の皆は、「え、切ったことないから自信ない~」とか言うのだけど、私の場合、あんまり機会がないからこそ、ちょっとワクワクする。しかも、お客様からの頂き物だから、高級品だ。私が高級品を切って、真っ先に中の状態を確認するのって、爽快感ある~。

 

でも、切分け係としての責任も生じる。まず、西瓜の甘い箇所は平等に切ること、そして、お上品なオフィスレディー達は手を汚したくないだろう。諸々追及した結果、種を感じさせない切り方をネットで習得した。

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1. 縦切りじゃなく、横切りする。と、断面に、うっすらと蝶の吸い口のようなクルクル模様が見える。

2. 蝶の吸い口(維管束というらしい)に沿って切り分けると、種が表面に出てくるから、見える種を取り除けば、自称タネ無しスイカの出来上がり~

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3. 今回も後輩が「種が全然なかったですぅ~」と言ってきた。「へへ。そうだろ~」っと誇らしい気持ちになる。

が、先輩の取り分に数個の種を発見してしまった、、。ま、スイカ食べてんだから仕方あるまい。

超大玉だったので、もう半分は明日。

 

おとといは、「行き過ぎる」私の状態について書いたのだが、これは、まだ凝り性の域に収まっているかなと思う。

なぜなら、楽しいし、シーズンものだから。

ことば

音信不通になっていた弟から封書が届いた。

 

弟は、鬱病と診断されて10年以上経つ。通院していることは病院で確認できるが、ここ1年くらいは、私も両親も、電話・Eメールを着信拒否されている。こちらからたまに手紙は書くことはあったが、返事は来なかった。


今回の封書の要件は、弟のアパートの契約更新を秋に控え、連帯保証人である私の印鑑証明書を送付してほしいということだった。弟としては、連絡を取らざるを得ない必要に迫られた状況だ。

更新手続き書類と共に、レポート用紙一枚にびっしりと書かれた手紙が同封されていた。

そこには、連絡不通にしていることを詫び、そこに至るまでの心身の状態、現在の状況、しばらく連絡不通のままにさせてほしいということが書かれていた。

私や両親に連絡しなければと考えれば考えるほど、発作や過呼吸、倦怠感に襲われ身体が動かなくなるという言葉どおり、手紙の文字も何日かかけて、なんとか書き上げたというような筆跡だ。

が、言葉遣いは丁寧で、弟が子供の頃から持つ変わらない心の柔らかさが読み取れる。

 

ハッキリ言って、弟は、言語表現が得意ではない。私は、逆で、何でも言葉で言い表さないと理解できないタイプだ。その証拠に、フルートのレッスンだって、「こういう感じ~」と先生に指導されたって、先生の「こういう感じ~」がサッパリ理解できない。先生が「ここは菅をゆっくり上へ持ち上げて、ゆっくり下ろす」と言ってくれて、私は「もう、早くそう言ってよ~」と思ったりする。


そんな私だから、弟が、なぜ、私が話したことをすぐ忘れたり、メールを全部きっちり読まないで、部分的に自分のいいように解釈したりするのか分からず、よくイライラした。弟は、感覚型なのだ。

その違いが分かって、うちの家庭(特に母との関係)は、弟にとって、さぞかし、生きづらい環境だったろうと想像できるようになった。


母は、言いたいことをズバズバ言えるタイプだ。誰かを傷つけようという悪意はないし、情深いのだが、感情に任せた正論をズバリと言ってしまう。例えば、5年前に父が癌を発症し、手術を受け、医師に「再発したら余命2年です」と宣告されたとき、あまりにも楽天的に過ごす父の生活態度に我慢ならなくなってしまった母は、「あんた、余命2年なんだよ。そんなに死にたいんか?!」と父にぶちまけてしまった。

言語重視型、思考偏重型の私から見ると、母の盲点は「感情に言葉が乗っ取られてしまうこと」だと思春期から感じていた。私は、感情と思考を切り離す術を磨き、母に冷静な言葉で応戦し、家庭内での居場所をなんとか確保してきたのかもしれない(その結果、私の盲点は、感情を置き忘れてしまうことだ)。

感覚型の弟は、母の雰囲気を敏感に感じ取り、圧倒されて、自分の心に蓋をしてきたのだろう。

 

ふと、「ことば」って何だろうと考える。

言語表現が上手くないという目で見ていた弟の今回の手紙は、ちゃんと私の心に届いた。

ことばは、誰かを打ち負かすためのものでもなく、正論を主張するためのものでもなく、優劣の評価の対象とするものでもないのだ。

私は、心と心をつなぐために使ってゆきたいと思い直した。

弟に心を伝えることばで返事を書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

やり過ぎ

文章を書こうと思いながら、暑さ疲れからか、片道2時間弱の通勤を睡眠に充てる日々を重ね、気付いたら8月になっていた。


以前、cimacox さんのblogを読んで、私の「やり過ぎ」の境目ってどこだろうと思った。

ちょっと時間が経ってしまったが、書きかけて放置していた文章をつなげよう。


とにかく、私は「行き過ぎる」タイプだということは自覚している。好奇心があるのでフットワークは軽いのだが、新しい場に足を踏み入れると、そこで形成されている関係性の期待に応えようとしていつの間にか義務感や役割に縛られてしまう。

過去の行き過ぎた事例といえば、、、


1.  小学生の頃、雪国なのに一年中ジャージの半ズボンで過ごしていたこと(先生が褒めるから止められなくなってしまった)

 ←つくづく、自分が寒いと感じる時点が止め時だったなと思う。感覚を思考で麻痺させていた。


2. 高校生の頃、入学式に揃えてもらった革製の重くて使いづらい鞄を三年間使い続けた(友人たちは使い勝手の良い肩掛け鞄やリュック)←鞄が重いと日々感じながら、親にその事が言えず、小学生から培った感覚を麻痺させるスキルをさらに磨いていった。「我慢強い私」という名のもとに....

 

3.   大学生の頃、児童館ボランティア活動に参加し、私は沢山の子供を相手にするのは苦手だなあと思いながら、活動を続けていた←私は未熟だから、苦手を克服しなきゃならないと思い込んでいた。


4.  社会人になって、昼間は図書館で派遣社員として働き、自分の人見知りを克服しなきゃならないと思い、思いきって居酒屋バイトを始めた←別に苦手を無理に克服する必要なかったし、バイト先を居酒屋にする必要なかったかもなあ。


5.  去年の年末まで約7年間同じ整体に通っていた。その整体師が言う健康観がすべてだと思い、自分の身体は治さなきゃならない部分だらけだと思い込んでいた。←なぜ、その整体師が言う理想体重とか理想体型に合わせなきゃならないと縛られていたのだろうか。私の服装に否定的なコメントをしてきたときに、あれ❓って気付いた。そこに行かなくなって半年以上経ったが、肩凝りが消えている。そこに通わなきゃ肩凝りが治らないという強迫観念が身体に一番毒だったのだな。


6.  30歳過ぎて、やりたかった職業に正社員で就けたものの、未熟な自分が許せなくて学校に通いまくった。あれが足りない、これが欠けていると感じる度に通う学校の数が増えて、毎週3ヵ所も仕事後に通っていた時期もあった←学校に通えば足りない部分が埋まるわけではないと、その時の自分に言ってやりたい。


7. 仕事だけじゃ老後が心配だからと、アロマトリートメントを習い、上級者コースまで受けた。先生に言われたことを私が忠実に再現するもんだから、先生が活動を経歴一年足らずの私に丸投げするようになってきた。技術面だけならまだしも、活動後一人残され、先生の家庭の悩みを四時間も聞かされた時は帰宅が遅くなって疲労した←自身を全面的に先生に明け渡してしまったのが問題だったなあ。


8. 飲み会の幹事を引き受けることが多くなって、いつのまにか、人を楽しませ満足させることだけに焦点が行ってしまって、気付いたら、自分は何を味わったのか分からない状態になっていた。いろんな人が連れていってほしいというから、同じ居酒屋に週3日も行ったりしていた←友人の期待に応え、さらに、居酒屋のマスターの期待(超常連客という肩書)にも応えようとした自分、やり過ぎだ~


思い付くままに書き連ねたが、細かい事例はもっとあるだろう。

「やり過ぎの私」を分析すると、ひとえに、私自身の感覚が麻痺させてしまったことが原因だ。自分がチラッとでも居心地の悪さを感じたら立ち止まってみた方がいいな。あと、できないことは別に無理して克服しなくてよいのだ。



 

滝行

土曜日は、整体クラスの夏特別企画で滝行に参加した。

目的は、水と一体になる感覚を味わうこと。

私の参加動機は、やっぱり、好奇心。


職場の先輩からは「こんなに暑かったら修行にならないのでは?」と冷やかされ、私も「そりゃそうだな~」と納得しながら、初心者にはちょうどいいやと思った。

私以外は常連さんメンバー6名で、日本昔話でお馴染みの金太郎さんが生まれた時に産湯として使われたという由来の足柄の「夕日の滝」へ。

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高さ約23メートル、幅約5メートル。

酷暑だけど、水量はここ数年で一番多かったらしい。

私は比較的水量の少ない端っこで滝に打たれていたが、常連メンバーがどんどん水量が最大になっている真ん中に移動していくので、好奇心から私も行ってみようかなあという軽い気持ちでフラ~っと動こうとした途端、友人に「危ない、危ない」と腕を引っ張られて我に返った。

気合いが不十分だと、水圧で首や肩を痛めるし、大怪我につながる。二十年来の友人は、私の行動パターンを知ってるのだなと後で感謝した。


滝は眺めてる分には涼しくて癒される感じだけど、いざ入ってみたら癒されるどころか、足も持っていかれるし、上からの水圧が半端なくて「人間って、こうやって水の事故を起こすのかもしれないな」と思った。

整体クラスの目的だった水と一体になる感覚を味わうこととは程遠かったが、自然から遠ざかって自然に対する畏怖を忘れつつある私には、いい体験だったと思う。



時間の感覚

人との付き合いにおいて、お互いの時間に対する感覚に共通項があるかどうかはかなり大きなポイントだと思う。

 

例えば、うちの田舎では、夏場は朝6時台に近所の人がやってきて、うちの玄関を勝手に開けて「おはよう~」と呼びかける。

母も、畑や鉢植えに水をやったりしてひと仕事終えた後だから、軽快な足どりで玄関に向かう。

集落全体がそういう感覚だから、かつてピアノの練習も毎朝6時からやっていたし、今回帰省したときもフルートを朝7時くらいから吹いていた。

都会だったら騒音問題ですごく非難されるんだろうが、うちの実家では、畑や田んぼで作業しているおばあちゃんたちから「がんばっとるな~。いい音聴かしてもろとるわ~」とニコニコしながら話しかけられる。

逆に、朝の時間に対する許容範囲は広いが、夜の時間に対する許容範囲は狭い。夜9時近くなったら、電話もかけないし、訪問者もいない。

 

多数決にすると、都会の生活は、朝の時間の許容範囲が狭く、夜の時間の許容範囲が広いだろう。

が、私の場合、通勤に朝は片道2時間弱かかるので、朝5時起きだ。なので、夜は9時を過ぎると就寝準備に入る。これが何かの都合で10時を過ぎて11時になったりすれば、もうフラフラだ。

いまだに私は、田舎タイムで過ごしていることになる。田舎タイムなので、都会で生活していると、時々周囲とのズレが出てくる。ま、これは、自分が夜の付き合いを減らせばいいことなのでコントロール可能だ。

 

問題なのは、相手が一方的に、「まだ若いんだから、どうせ、夜遅くまで起きてるんでしょ」という先入観でこちらの許容範囲外の時間に割り込んだり、「あなたもこれくらいの時間まで起きてるでしょ」との自他の感覚を混同してしまう場合だ。相手が人間的に魅力があり、こちらの好奇心を満たす話をしてくれるなら、なんとか、許容範囲を広げられるが、単に、相手の欲求を満たすためだけの話を夜中まで延々とされるのは、”寝かせない拷問”にあっているような気分になる。


私自身は、自分の時間感覚を誰かに押し付けて、“早朝叩き起こしの拷問”を仕掛けないようにしようと思う。

大事なのは、いかなるときも、お互い

の時間とペースを尊重することだな。

 

 

 

 

筋書きどおり

最近、生きるのが楽になってきたと感じている。

 

それをある人に話したら、自分をイジメなくなったからだろう言われた。

確かに、自分はダメだ、ダメだ、何もかも平均より劣っていると自分をイジメていた頃は、びっくりするくらい理不尽な事件が身の回りで起きていた。そして、それらの事件に直面するたびに、私は損する星の下に生まれたのだから、日々耐えながら、努力を絶やさず生きるしかないのだと心の中でに言い聞かせていた。

 

10代は、他人の評価に応えられるよう必死になり、20代は、他人からの評価を受ける前に、自ら損な役回りを買って、遠回りの道や棘の道を選択して自分を散々いじめ(結果、心身共に限界を感じ)、30代は、自分は強くなったと信じ込み、仕事も人間関係も自分に取り込めるものはすべて吸収してやると身を削ったりした。

共通してるのは、自分は何かが不足してるのだから努力して外から補わなければならないという強迫観念。

 

振り返れば、自分が自身に対して下す評価どおりの筋書きで、人生が繰り広げられていたのだなあと思う。

自分が不足してると思えば、自分の未熟さを思い知らされる事件が起き、足りないものを補おうと一生懸命になれば、私と同様に一生懸命になってる人に出会い、身を削る一生懸命な行動が加速してゆく。

 

出発点が自己卑下だと、そういうキャラクター設定の自分で物語が展開してゆくのだ。

特に20代、社会に出て他人から評価される機会が多くなると、自分が自分を低く見積もれば見積もるほど、他人からも小間使いのように扱われることが増えていった。私はずっと、田舎者で世間知らずで要領が悪いから、都会で働ける能力もないと信じていたので、やっぱり採用試験も通らず(自分を見極めて会社を選んでいないから)、アルバイトや派遣社員で働いていた。それらの現場で、私は、無能な人間であることアピールをしながら、人のミスを被って恩を売ろうとをしたり、考え過ぎて失敗したり、一人で業務を抱え込み過ぎたり、仕事に恵まれないキャラを確立していった。

そうすると、仕事に恵まれない人生シナリオがどんどん組まれ、そういう場面への出番が日々舞い込んできた。本当に仕事でミスをしてたのか振り返ると、そうじゃなく、正職員のストレスのはけ口役や誰かの身代わりをやっていたこともあったと思う。でも、その頃私は、腹が立つというより、そういう役回りしかできないのだと思い込んでいたので、とりあえず出番があってよかった(何かの役に立ってよかった)と自分の存在価値を感じようとしていた。

自分が作ったキャラで、自分が信じ込んでいた筋書きどおりに人生を歩んでいたのだ。

また、20代は、自分が自分にかけ続けた呪いがどんどん現実化していった時代だったと思う。

 

40代の今の私はというと、10代から憧れていた仕事を正職員でやり、私なんか無理だと思っていた結婚もしている。最初の頃は、やっぱり、自己卑下癖が抜けなかったが、少しずつ、私は私で大丈夫だと思えてきて、周りにも感謝できるようになって、あっという間に仕事も結婚も15年。

私の役回りは、日々、自分で望む通りに選択してゆけるのだし、筋書きだって、どんどん書き換えてゆけるということが分かってきた。

キャラ設定は、あらかじめ特にしない方がいいということも分かった。その場面その場面で、私は自分がこうありたいと望むキャラになれるはずだ。


とは言っても、たまに、不安が自分の有りたい姿を曇らせることもある。

つい一昨日のことだが、仕事で専門的な質問をされ、自分の見解を伝えた。が、昨日、その質問者は、私の前で、私の先輩にも同じ質問をした。そして、先輩も、ほぼ私の見解と同じ回答をした。

だから~、一昨日、私も同じこと言ったよね~と内心イラッときたが、これは、回答が問題じゃなくて、私の回答の仕方が

質問者を安心させられなかったのだと気付いた。

一昨日は先輩が休暇で不在だったので、私は、私の回答で大丈夫かなあ~思いながら質問者に説明していた。そういう不安で未熟なキャラ設定をした人物から説明を受けても、質問者だって不安になるだろう。

やはり、自分のキャラは自身が設定していて、そのキャラの筋書きどおりに自分が人生を展開しているのだなと実感した。

 

 

 

非日常のスペシャリスト

最近、立て続けにスペシャリストさんに会う機会があった。


自分の職場も十分にスペシャリスト集団なのだろうが、そういう頭脳プレーで情報収集して、交渉術を駆使し、タイミングの見極めなどに長けるスペシャリストじゃなくて、手も動かすスペシャリストの働く姿を見る機会は新鮮だった。

 

時系列で挙げるが、一人目は、お掃除のスペシャリスト。

職場の既婚者メンバーで評価の高いお掃除屋さんを依頼してみることにしたのだが、噂どおり、彼の入念な掃除ぶりには感服した。大手のお〇うじ本舗から独立して一人で会社を立ち上げ、一人で仕事をやってるのだが、人体に影響ある薬品は一切使わず、2カ所2万円で掃除を請け負ってくれる。


うちはお風呂場と台所換気扇を依頼したのだが、朝9時に来て、なんと、午後1時過ぎまで約四時間を換気扇掃除に費やし、昼休み休憩1時間して午後2時くらいからお風呂場に籠もること約五時間、午後7時になって、「今からお風呂場の換気扇を分解しますので、あと1時間くらいいいですかね~」と声をかけられた。

うちの風呂場はそんなに汚かったんだろうか・・・とか思ったけど、お風呂場は平均5時間かけて掃除するのが彼のやり方だそうだ。

そして、終了後、自分が作成したという実験済みの除菌スプレーをプレゼントしてくれた。

翌日は同僚が予約を入れていたので、「毎日こんなに長時間大変ですよね~」と声をかけたら、「いえ、いつもやってるので~」と全く疲労感のない軽やかな口調で返ってきた。

おかげで、分譲後16年間積もった汚れは一掃され、視界良くお風呂に入ることができて快適だ。


つくづく、大手会社のような効率性などを模倣せず、自分のポリシーを貫くスペシャリストは立派だなと感服した。

 

二人目のスペシャリストは、近所の獣医さん。


先代のニャンコは18歳で大往生したので、亡くなる数カ月前まで獣医さんのお世話になったことがなかった。が、3歳になったばかりの今のニャンコ、人間で言えば、まだ二十代だというのに、歯が一部抜けて部屋に落ちていた。

前のニャンコは死ぬまで歯のトラブルがなかったし、3歳で歯周病は早すぎると思って、すぐに獣医さんに連れて行った。

ここの動物病院は夫婦でやっていて、今回は奥さんが診てくれた。

院長のだんなさんはおっとりマイペースだが、奥さんはテキパキしている。

やはり、3歳の若さで歯の劣化がここまで早いのは、おかしいという診立てになり、別の病気も疑い、血液検査をすることになった。

猫はじっとしていないので、歯の治療も全身麻酔をすることになる。悪い歯は病原菌の巣なので、良い歯は残して、悪い歯は抜歯手術をするという方針に決まった。

ニャンコは午前中に病院に預けて、夕方に迎えに行くという日帰り手術。


手術後に奥さんから説明を受けた。

ネコ科の動物は、獲物の肉を切り裂くために歯を使うが、咀嚼せず丸飲みするので、飼い猫は、歯が無くても問題ないこと。うちのニャンコは、蓋を開けてみたら、ほぼ全部の歯がグラグラの状態だったので、犬歯を残して、全部抜歯したこと。

一見、状態が良さそうに見える歯も2本くらいあったが、ここまで歯の悪化が早いということは、また1、2年後に2本のために抜歯手術をすることになったら、猫の負担もあるし、金銭負担もあるだろうから、申し訳ないですが、私の判断で犬歯以外すべて抜歯しましたと告げられた。


私は、奥さんの判断は適切だと感じ、その判断をありがたく思った。ここで、もし、歯が無くなるのは可哀そうだからと、できるだけ歯を残す処置をしたら、さらに歯周病が進んでしまいそうな気がした。

幸い、血液検査の結果も問題なく、抜歯後もニャンコの食欲は変わらず、元気に暮らしている。

 

つくづく、最初の診立てに固執せず、総合的な面から考え、状況に応じた適切な方針転換と処置ができるのは、さすがだなと感謝と尊敬の念を抱いた。

 

そして、最後のスペシャリストは、救急隊員。


ニャンコの手術翌日、ニャンコはピンピン駆け回っているが、ぐったりしているのは夫。

本人も午前中は腹痛だと言っていたが、午後になって、単なる腹痛ではないような状態になってきた。

週末で近所の病院もやっておらず、休日に診てくれるメディカルセンターも夜間にならないと開かないということで、どうしようもなく、救急車を呼ぶことになった。


人生で自身で救急車を呼んだのは2回目である。

1回目は学生時代に弟と二人暮らしをしていた時で、その時の弟の腹痛と症状が似ているので、おそらく、夫も尿管結石じゃないかと思った。


救急車の音って、町中に反響するから目立ちすぎて気まずい感じになるけど、急いで駆け付けてくれてるんだ~って心強い気持ちにもなるもんだと今回感じた。

救急車が到着すると、救急隊員の方々がテキパキと動いてくれる。

夫に必要な質問をしながら血圧などを測る隊員、受け入れ先の病院を探してくれる隊員、運転する隊員。

そして、夫は、痛みの原因特定まではできなかったが、必要な処置を早急に受けることができた。


救急隊員にとっては日常業務なのだろうが、彼らの冷静で適切かつ丁寧な動きに魅せられた。

 

以上のスペシャリストたちの働き方、私の日常生活圏外だからこそ、心強く、頼りがいがあるように感じるのだろうが、自分の働き方を振り返り、新たな気持ちにさせられた。