感覚を言葉に、言葉で感覚を

感覚を言葉にとどめ、言葉で感覚を蘇らせる

同窓会に思う

一カ月以上ぶりに日記を書く。

フルートの発表会も無事終わり、気分的に何かに追われることがなくなって、のんびりとした日々を過ごしている。


つい先週、中学校時代の同窓会のお知らせメールが届いた。

中学卒業して30周年の同窓会。

「せっかくの機会だから参加しようかな」というのが私の第一印象。そして、すぐに参加の旨を伝えた。

実は、この自分のリアクションに自身で驚いている。

おそらく、十年前の私だったら、「ふ~ん、面倒くさい。特に参加しても意味ないし」と思って、即、欠席の旨を連絡しただろう。

でも、人間、年月を経ると丸くなるというのは、本当だ。

丸くなったというのは、私の場合、他者に対しても、自分に対しても、いろんなことが許せるようになったことだろう。いろんなことが許せるようになるというのは、自分を、関わる人々を、枠にはめてとらえることが少なくなったということだと思う。

 

私が生まれ育った家は、人口3千人くらいの村にあって、保育園、小学校、中学校も各一つしかなくて、保育園から中学までの12年間同級生メンバーはほぼ変わらない。都会から転校生も在学中に一人か二人は来たけど、ド田舎の村意識が漂って、仲間外れにしていたわけではないけど、すぐにまた転校していった。

第二次ベビーブーム世代といっても、学年50人ちょっとしかいないから、1クラス25人の変わり映えのしない面子のなかでクラス替えを繰り返すことになる。

みんなが、お互いの家庭環境、生活レベル、嫁に来た母親の出所などなど、何もかもお互い知っている(知ってると思い込んでいる)コミュニティ。

 

自分が知るよりも先に周囲の大人たちが先にいろんなことを知っていて、その閉鎖的なコミュニティに生まれた私を何かにつけて評価し、自分に選択の余地のない代わり映えしないメンバーと10年以上も毎日過ごすのは退屈で、全く価値が見いだせなかった。

自然がいっぱいでのびのび暮らせる田舎のイメージとは程遠く、私は、毎日、創造性のカケラもなく、枠に自分を押し込めて周囲から与えられる課題をこなしていた。とにかく、人と関わるのが苦手で、なるべくなら、人と会わずに毎日を過ごしたいと思っていた。

きっと、私は、心のどこかで、クラスメートや村の人たちを小バカにしていたと思う。みんなを見下すためには、成績を上げて完璧な子でなければならないと思っていた。私は、ここにいる皆とは違うのよ!いつかこの村を出ていくんだから!という態度だったから、男子には嫌われた。女子には分かりやすく説明して勉強を教えるから、便利な存在と扱われていたと思う。私サイドとしては、相手ができないことを教えてあげることで、優越感に浸っていたと思う。

 

高校卒業後、私は村を離れた。せいせいした気持ちで。

ただ、身体は村を離れたが、内面は自分を枠に押し込んだままだった。

それに気づくには、何十年もかかり、枠から出るにはさらに年数を要した。

 

田舎には帰省したくない時期もあったが、最近は年3、4回くらいは帰省している。帰省中、中学時代の同級生に声を掛けられることが増えた。私はあまり化粧をしないからか、「わあ~。変わってない~」と満面の笑みで連呼される。中学生の私と40代の私の容貌が同じなわけはないし、考え過ぎると複雑な気持ちにもなるが、私は嫌われていないようだ。

 

中学卒業から30年。

その頃のツンケンした私、それに対して私を非難したクラスメート、村の人に無愛想だった私、噂話の好きな村の人、、、みんなひっくるめて許せる気がしている。そういうこともあったな~って笑顔で話せる気がしている。

年齢を経て細かいことはどうでもよくなるというのは、「こうあるべき」という枠を気にしなくなるということなのかもしれない。


今の私で、大人になったクラスメートたちに会いに行こうと思っている。